四国八十八カ所参りの第3番札所 金泉寺に行きました(^∇^)
朱塗りの山門を抜けると

石畳があり、その先の赤い橋を渡ったら

本堂がありました。

まず本堂でお参りをして

次に太子堂でお参りしました。今日も団体客の方で賑わってますね~♪

太子堂では戸が開いていたので

中の様子が見えました(*^^*)

下の写真は、弘法大師が掘った「長寿をもたらす黄金の井戸」です


弘仁年間(810~24)…と言えば、今から1200年前、平安時代の初期ですが
弘法大師が四国を巡教された際、村人のために井戸を掘ったら霊水が出たとされ
そのときに、寺の名前も金泉寺に改めたそうです。
今は、コンクリートで囲っているので風情はありませんが

井戸の底には今も水があり、1200年もの間、大切に守ってきたのかな~と思います(^.^)
次に、弁慶石を紹介します(^◇^)

立札には
弁慶の力石伝説
源義経は平家追討の命をうけ讃岐屋島に向かう途中、金泉寺に立ち寄り戦勝開運を祈願しました。
その時、家来の弁慶が自らの力量を披露するために、この巨石を持ち上げたと伝えられています。
とありました。
源義経は、平安時代末期の武将で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟です。
幼少名 牛若丸で有名ですが
その義経は、金泉寺に立ち寄った後、1185年の屋島の戦いで勝利を収め
さらに、壇ノ浦の戦いでも勝利し、ついに平家を滅しました。
しかし、頼朝と対立し、結局1189年に襲撃を受け、悲しい最期となりました。
この後、頼朝が1192年に鎌倉幕府を開いた・・・と思ったら
最近では
鎌倉幕府の成立年度は、1185年説もあるそうです~Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
1185年に、頼朝に実質的な支配が移ったことや
壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させたことが、その理由だそうです

歴史の解釈もどんどん変わってるんですね~(^◇^)
人気ブログランキング 水耕栽培へ
スポンサーサイト
Comment